「すべては壱岐島で暮らすみんなのために」
壱岐市の皆さまへ
出口いちろうと申します。
私は旧郷ノ浦町役場を経て壱岐市役所で約24年間、この島がどのようにしたら活性化するかを考えて、ひたすら仕事をしてきました。
私が入庁した2000年、壱岐の人口は約3万3千人を超えていましたが、今では約2万4千人にまで減っています。
これは壱岐だけの問題ではなく、日本全体が人口減少となっており、今もなお人口は減少傾向にあります。
しかし、それでもこの島に住み続け、元気に頑張っている島民がたくさんいます。
自分の背中より大きなランドセルをからって(※)走って学校に行く子どもたち。
離島というハンディをものともせず力強く部活動を頑張る学生。
都会への憧れもありながら島に残って働くことを決意した若者。
この島の活性化のために誇りを持って働く現役世代。
そして、この島をやさしく笑顔で見守り続けてくれるお年寄り。
すべてがこの島の「宝」です。
私が目指す場所は、「目的」ではなく「手段」です。
この宝を守り続けるにはどのようにしたらいいのか。
市役所の仲間と壱岐のみなさまと共に考え、行動し、未来に向けて共に歩みたいと思っています。
「すべては壱岐島で暮らすみんなのために」
私自身この言葉を胸に、実現したい多くの施策を考えています。
共にこの島の宝をいつまでも守り続けていきたい。
多くのみなさまに私の想いをご理解いただけたら幸いです。
令和5年12月2日
出口 いちろう
※「からう」は九州地方でよく使われる方言で「背負う」の意味です。